富士聖ヨハネ学園の歩み PART 5

 それを聞いた職員は、おいしくカレーを作りたいと励みになったそうです。毎週、寮の職員と給食課の職員との間で、献立についての話し合いがあり、それを参考にしながら、新しいメニューを入れたりしていました。若く元気な利用者さんが多かった頃に、はじめてカツカレーを取り入れた所、大変喜ばれました。うっかりしていると、職員のお皿からフライをつかみ取りされたこともありました。しかし徐々に利用者さんたちの高齢化・重度化が進んで、普通食が食べられない人が多くなり、「食形態プロジェクト」を立ち上げて、流動食やソフト食など、一人ひとりに合った食事を作るのに、給食課は心を砕いています。

 1995年(平成7年)、パーキンソン病の利用者さんの歩行訓練のために足蹴りをしたなどの不適切な行為が不祥事として取り上げられ、翌年2月にはメディアによってセンセーショナルな報道がなされ、利用者さんやご家族に大変なご迷惑をかけてしまいました。東京都から制裁措置を受けたりして、学園全体が苦悩に打ちひしがれたようなつらい体験をして、行政機関の指導、内部での検討・反省によって、この問題を乗り超え、新たな方向へと進むことができました。

 学園の開設当初、利用者さんたちは障害者ということで、近くの医療機関になかなか受け入れられませんでしたが、医師会との関係も良くなり、少しづつ、地域の医療機関との連携ができるようになりました。学園の診療所は、最初、医師常勤制を取っていましたが、その後、常勤医の確保が難しくなり、内科、精神科ともに非常勤医師でつないでいますが、ドクターたちは利用者さんたちの健康管理と診療に鋭意ご尽力くださり、医師―看護師―支援職員との連携も取れるようになりました。利用者さんの高齢化・重度化が進み、理学療法士や作業療法士を導入して、日常生活動作の維持、向上に努めています。胃瘻造設で経管栄養をしている人、中心静脈栄養を受けている人もあり、医療的ケアも内容が濃くなり、現場で吸引処置を必要とすることが多くなってきたことから、職員による吸引、胃瘻処置の資格取得のための研修も積極的に取り組み始められました。

 「精神薄弱」という法令用語は人格に問題があるような響きがあるということで、問題になっていましたが、1998年(平成10年)「知的障害」という用語を用いることになり、「精神薄弱者福祉法」が「知的障害者福祉法」へ改正されました。その後、国は個人が尊厳をもってその人らしい自立した生活を送れるように支えると言う社会福祉の理念に基づいて、社会福祉基礎構造改革を行うこととし、種々の障害者に関する法律を改正しました。

 社会福祉制度は大きく変革し、障害者福祉サービスについては、50年もの長きにわたり福祉制度を支えてきた措置制度から2003年(平成15年)支援費制度に移行し、障害者が事業者と対等な関係で、契約によって、障害者自らがサービスを選択して利用する仕組みになり、これは居住施設から地域社会とグループホームへの誘導といった内容も含んだ画期的なものでしたが、財源的な裏付けが乏しく、2年後に破たんしてしまい、代りに障害者自立支援法が成立しました。しかし財政難には変わりなく、学園の歳入も減額され、職員に負担がかかっています。学園は1992年(平成4年)既に初めてのグループホーム「河口湖聖ヨハネホーム」を開設していますが、障害者自立支援法で地域生活移行が掲げられ、その流れに沿って、2004年(平成16年)小金井聖ヨハネ生活寮(ケア・ヴィレッジ)やその後清瀬、忍野にもグル―プホームとケアホームがつくられています。学園児童部は年々利用者が減少し、成人施設と同様に、契約施設となるのに合わせて、廃止の時を迎えました。そして2013年(平成25年)4月から自立支援法が障害者の日常生活と社会生活を総合的に支援するための法律(障害者総合支援法)が施行されました。グル―プホームの利用者さんたちの日中活動の場としての通所施設も忍野、小金井、清瀬、に設置されています。

 学園は築40年となり、建物は老朽化し、給湯管が床下で破損し、床暖房になったり、水やお湯があちこちで噴き出したりし、山側は湿気が多くカビが生え、利用者さんの高齢化・重度化により車椅子の使用が多くなって、居室も食堂もスペースが足りなくなり、食事の種類が多くなって、調理室も手狭になり、法改正により、4人室だったものが個室化され、改築が必要になりました。一部の利用者さんを旧職員宿舎に移動させて、2013年(平成25年)大規模な改築工事が始まりました。

 学園は東京都民のためのいわゆる都外の都の独占施設で、山梨県に在りながら、今まで山梨県の知的障害者を受け入れることができず、何かにつけて、山梨県との間に軋轢がありましたが、この度改築される施設には、山梨県民を10%受け入れることができるようになり、その利用者さんにも都の加算がつくことになりました。また学園の近くの別の場所に山梨県民のための通所施設(日中活動の場)が新設する運びで、工事が始まっています。これは「富士北麓聖ヨハネ支援センター」と名付けられています。こうして山梨県民のためにも施設を利用していただくことができるようになり、長年の懸案が解決される見通しとなりました。

 富士聖ヨハネ学園は神の愛にすっぽりと包まれています。その中で、利用者さん一人ひとりがその人なりに自由にのびのびと、明日を思いわずらわず、すべてを委ね切って、明るく暮らしています。利用者さんたちの貧しさの中の豊かさ、弱さの中の強さに教えられ、導かれて、職員は人との関わりである福祉をより質の高いものにしようと努めています。それは社会的にももっと認められて良いものではないでしょうか。


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会の目的と精神

わたしはぶどうの木、
あなたがたはその枝である。
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事業

わたしはまことのぶどうの木、
わたしの父は農夫である。
ヨハネ 15:1

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修道院

わたしがあなたがたを愛したように、 あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネ13章34節

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Blog

わたしに仕える者がいれば、 父はその人を大切にしてくださる。
ヨハネ12章26節

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わたしたちは病気の人、悩み苦しむ人、
弱い立場の人々への奉仕に献身しながら、
神が慈しみ深いことを現します。