岡村ふくは貧しく医療を受けられず苦しんでいる人のために日夜奉仕をしていきます。汚れにまみれた人が来る時もあり、お風呂に入れきれいにし食事を出してあげる。夜中に呼ばれ、行ってみると患者さんはお母さんで赤ちゃんが泣いている中冷たくなっていたという痛ましいことも多くありました。戸塚神父様を助けながら彼女は目の前の人の隣人となり母となっていきました。
聖心での学生生活は、両親との約束もあり家の手伝いをするため朝早く起き手伝いをしてから学校へ。聖心ではマザーたちからの大きな影響を受けます。母国を離れ知らない異国で神様の三栄のために働かれている姿に、彼女はなぜ?という疑問と、マザーたちからの多くの教えを受け変えられていきます。もちろん今まで歩んできた信仰の土台があったことは確かなことです。幼い時、ニコライ堂で見た十字架上のイエスの姿に幼心にも誓った誓い、マザーたちから受けた多くの影響が彼女の信仰をより大きなものへと変えていくのです。
3月25日 神のお告げの祭日に、小金井教会主任司祭の加藤神父様司式で、加藤史子さんの志願期に入る式をおこないました。前日に、100歳になられ多くの時間を主のため私たちの会のために捧げてくださったシスター川久保が帰天しました。その翌日で、シスター川久保が天に召された喜ばしい日でありながらも、私たちの心は寂しさで満ちていました。その私たちの心の中に光が差したような日であり、喜びの式でした。式の中で、加藤神父様が、ブドウの花と実の話をされ、花を咲かすことではなく、実を日々実らせることについてお話をしてくださいました。毎日毎日実をつけるために、奉献していくのが私たちの姿です。加藤さんもこれからの日々、つらいことや楽しいこと、失敗やうまくいくことなど多くの中で、祈りながら歩んでいかれるのだと思います。そしてその決心を式の中で、目に見える形で表されました。前日に亡くなったシスター川久保のように、そして多くの先輩のシスター方のように、神様と共に手をとって、歩んでいかれると思います。その道は、花園でなくても、加藤神父様のおっしゃったように実りの多い道です。神様が案内人なのですから、迷うことなく細い道も、でこぼこの道も、大きな道も歩んでいくことができます。式の中で、彼女がこれからの道を神様と私たち姉妹とともに、実を結びながら歩んでいけるように祈った日でした。
1921年5月8日 生
1953年5月31日 初誓願
1959年5月31日 終生誓願
2022年3月24日 帰天
ご指導:萩原義幸師(レデンプトール会)
対 象:未婚の女性信徒40歳位まで
場 所:聖霊修道院マリア館(小金井市)
主 催:福音史家聖ヨハネ布教修道会
費 用:3,000円
持参品:筆記用具 洗面具 マスク
*参加希望者は1週間前から健康のチエックをお願い
します。(体温・体調について)
申し込み:2022年2月21日までに下記へ
184-0005 東京都小金井市桜町1-2-20
福音史家聖ヨハネ布教修道会 Sr.中村喜美子 tel:042-383-8527
fax: 042-383-7492
Email:sisternakamura@gmail.com
アクセス:中央線・武蔵小金井駅下車。北口 西武バス①②③にて
「桜町病院」下車 3メートル程生垣沿いに戻り
聖霊修道院正門からインターホンを鳴らしてください
西武新宿線・花小金井駅下車 小金井街道沿いの西武バス
「武蔵小金井駅行き」乗車「桜町病院」下車
信号を渡り聖霊修道院正門からお入りください
総長による待降節講話 2021.11.27~28 待降節第一主日
去る11.27~28カトリック府中教会の待降節第一主日のミサ中3回にわたり総長・Sr.池田順子による講話が行われました。コロナ感染状況も落ち着いてきたこともありミサに与る信者の皆様の表情も明るく去年と違いイエス様をお迎えする準備をゆっくり穏やかに始められそうな雰囲気を感じることができました。気づけば去年はコロナ感染の不安が常に付きまとい待降節を味わう余裕もなかったよう記憶しています。そして気づいたらイエス様が生まれていた…!なんて状況だったよう振り返っています。今年は主任司祭のアンドレア神父様からの推薦を頂き本会総長の講話を皆様にお届けすることになりました。今年は府中共同体が誕生より20年目という節目の年でもあります。府中教会の皆様と共に歩ませて頂いた20年でした。歴代のミラノ会の神父様方にも大変お世話になりました。これからも皆様と共に喜びも悲しみも苦しみも分かち合いながら神の国を実現していきたいと思います。どうそよろしくお願い申しあげます。
去る11月14日にカトリック府中教会にて聖ヨハネ会の販売会が行われました。昨年に続き今年も本催しをさせて頂きました。コロナ禍も2年目となり、バザー開催が今年も見送られる中で、ささやかではありますが信徒の皆様に喜んで頂こうとシスター達が祈りを込めて制作した品をご用意しました。来年の卓上カレンダー、クリスマスカード・オリジナルカード、メモ帳、一筆箋、天使の人形、手芸品等々…例年通りの作品もあれば新作もあり信徒の皆様に楽しんで頂けたご様子でした。売り子で登場した若手シスター、志願者、ノビスもはつらつと活躍し信徒の皆様との嬉しい交流のひと時を持つことができました。わずかな時間ではありましたが、小春日和のなか天気にも恵まれた催しとなりました!主任司祭・アンドレア神父様、助任司祭・ビンセント神父様、府中教会の皆様に心より感謝申し上げます。神様の恵みと祝福が府中教会の皆様の上に豊かにありますように…♰
愛聖園では、戦争で両親を亡くし、寂しさやつらさを抱えながらも生きている子供たちをシスター方は心を寄り添い、神様から預けられた子供としてお世話をしていきました。その中に、少し変わった子、少しみなと同じようにできない子がいるのがわかり、知的障害の子供たちのために、八王子に甲野原学園を建設します。
私たちの会である、福音史家聖ヨハネ布教修道会は昭和19年、戦争も終わろうとし、日本がこれから待ち受けるつらい時期の幕開けに、小金井の小さな村で誕生した会です。すべてのものが焼かれ、何も光が見えなくなったときに、神様は一つの恵みを与えてくださいました。
受けた賜物を自分のもの、自分の手柄のように誇ることなく、功徳を積む宝である十字架に打ちひしがれ、悲しむことなく、それぞれの道から他を羨むことなく、いつも天主様と隣人愛を目指して、明るく戦い抜いてください。
(創立当時は、神様の事を「天主様」とお呼びしていた。)
学園の給食課の職員は、心を込めておいしい食事やおやつを作ってくださったので、毎日の食事も利用者さんたちの大きな喜びとなっていました。毎金曜日はカレーライスと決まっていたことがあり、行事の都合で曜日が変更になった時、カレーライスが大好きだったKくんが、金曜日にカレーライスが出ないということで、怒ってしまいました。それほど楽しみにしていたのです。
知的障害者はたとえ発達は遅れていても、その人格は素晴らしいです。優しく、暖かく、素直で、純心そのものですから、人々の心を打ちます。初めての人が来ると,にこにこして親しみ深く近寄ってきて、「どこから来たの?どうして来たの?」とどなたも大歓迎してくれます。
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忍野の冬は予想以上に寒さが厳しく、-16~-20℃になることもあり、利用者さんたちが集まれる場所が必要となり、1978年(昭和53年、)南の山側に広い平地があったので、そこにリハビリ棟を新築しました。2階建ての体育館です。一部を高くして、舞台のように仕切り、カーテンをかけられるようにしました。クリスマス会や新年のミサなど、いろいろな行事や、保護者会などに使用しましたが、平常は利用者さんたち皆の走りまわれる活動の場所として利用されました
第2期建設工事が中断したままで約2年間、その後工事再開して更に約半年、八王子と忍野に分かれての二重生活は大変厳しいものでした。二重生活の苦しみは甲の原学院に残った利用者・職員に多くの負担をかけることとなり、一時学院に残っていた職員がストライキという手段で、苦境を訴えました。聖ヨハネ会が一番困難の渦中にあった時、白柳誠一東京大司教が理事長に就任してくださいました。聖ヨハネ会が現在あるのはそのお陰と言っても過言ではないと思います。
桜町病院の創立者戸塚文卿師の帰天後、その協力者であった岡村ふくは、当時の土井辰雄東京大司教の命によって、「福音史家聖ヨハネ布教修道会」を創立し、桜町病院の経営を担うことになりました。
ある時、学院で赤痢、疫痢の患者が多く出て診療所の中村先生が大活躍。検便の結果、保菌者は児童も職員も望徳寮に集められ、1カ月くらい検便を続けながらまとまって生活しました。この時、桜町病院の検査科に大変お世話になり、シスター稲垣も来院して協力しました。
職員やシスターたちは心を込めて精一杯子どもたちのお世話をし、子どもたちの清い心で支えられ教えられ、少しずつ進歩していく子どもたちに慰められることも度々でした。食事の前後には職員が交代でお祈りをしていましたが、ある日、外出のため一人先に食事をする子どもに職員が早く食べるようにとたびたび勧めても食べ始めないので、その職員がふと気づいて食前の祈りをしたら食べ始めました。
近所の農家の人々は好意を示して野菜を売ってくださり食料品店からも食材を届けてくださったので、貧しいながらも子供たちの喜ぶものを調理できました。朝食のコッペパンはマーガリンを塗って3等分しプラスチックのお皿に分け岡持ちに入れて運ぶ係が1人の男児でしたが、長い廊下を学習室兼食堂へ届ける間にその子がこっそり口に入れるため1個足りなくなっていました。
桜町病院の創立者戸塚文卿氏の亡きあと、師の協力者であった岡村ふくが当時の土井大司教の命を受けて、1944年福音史家聖ヨハネ布教修道会を創立して病院の経営に当たりましたが、徐々に増えていくシスターたちの養成の場である修練院を建てるために閑静な場所で土地を手に入れたいと探していたところ、桜町病院の事務長が耳寄りな話を持ってきました。
コロナ禍の中で草花は美しく神様を賛美しています。
神様の助けがなくて、どうして出来たばかりの修道会と病院が存続できたでしょうか。シスター方も心を一つにしマザーのお言葉のように、私たちは小さなものですが皆が一つの心一つの霊となって、神様への信頼を失わず、神様と隣人への奉仕と宣教のためできる限りのことができたことは神様の恵みです、と修道会と病院のために働きます。当時小さく貧しい会は、会服も自分たちで染め、作り、サンダルさえ買えなかった時代に一人の人の苦しみは皆の苦しみであり一人の人の喜びは皆の喜びです、とマザーは断言します。物が有り余っている時代に生きる私たちへの大きな問いかけです。
岡村ふくは貧しく医療を受けられず苦しんでいる人のために日夜奉仕をしていきます。汚れにまみれた人が来る時もあり、お風呂に入れきれいにし食事を出してあげる。夜中に呼ばれ、行ってみると患者さんはお母さんで赤ちゃんが泣いている中冷たくなっていたという痛ましいことも多くありました。戸塚神父様を助けながら彼女は目の前の人の隣人となり母となっていきました。
聖心での学生生活は、両親との約束もあり家の手伝いをするため朝早く起き手伝いをしてから学校へ。聖心ではマザーたちからの大きな影響を受けます。母国を離れ知らない異国で神様の三栄のために働かれている姿に、彼女はなぜ?という疑問と、マザーたちからの多くの教えを受け変えられていきます。もちろん今まで歩んできた信仰の土台があったことは確かなことです。幼い時、ニコライ堂で見た十字架上のイエスの姿に幼心にも誓った誓い、マザーたちから受けた多くの影響が彼女の信仰をより大きなものへと変えていくのです。
私たちの会•福音史家聖ヨハネ布教修道会、は小金井の地に昭和19年に誕生した小さな会です。その頃の小金井は、東京の田舎でなにもないところでした。周りは畑ばかりです。ここに戸塚文卿神父様によって昭和14年に桜町病院が建てられました。多くの人々の善意によって建てられた、結核の、当時では大きな病院でした。戸塚神父様は病院が建設される前に帰天なさリ、残された病院を神のみ旨として引き受けた私たちの創立者「岡村ふく」の話をしたいと思います。
11月15日(日)カトリック府中教会にて聖ヨハネ会の販売会をさせて頂きました。今年は、コロナ感染対策のためこの時期に毎年行われていたバザーが中止となりました。主任のアンドレア神父様より、教会の行事がコロナ禍のため制限されていることからクリスマス前に何かしら信徒の皆様を喜ばせたいという配慮からのこの度の企画となりました。
続きを読む> 今年は新型コロナウイルス感染拡大の為、創立記念日を教会の皆さまとご一緒にお祝いすることが出来ませんでした。又、バザーも中止となりました。
このような中にあっても、自然の花はそのまま美しく咲いて神さまを讃えています。修道院の周りにある花々によって心が癒されますようにと願うと共に、感染拡大が一日も早く終息しますように心よりお祈りいたしております。