10月30日 
甲の原学院 1955-1975 PART 4


 1965年の夏のこと。聖ヨハネ会の2人のシスターに出会ったある女性が甲の原学院の見学を目的に汗を拭き拭き坂を登っていきました。学院は山を背に豊かな大自然の中にたたずんでいました。女性は子どもたちとの初対面で、一人一人が背負っている心身の不自由さを目の当たりにしてその現実の重さにたじろぐばかりでしたが、物珍しげに集まってきた子どもたちは満面に笑みをたたえて「こんにちは」「こんにちは。どこから来たの?」「お名前は何?」などと大歓迎でした。その瞬間、耳をつんざくような雷鳴と全身を一瞬に突き抜けていった稲妻のような鋭い光の中に神のみ声を聞き、聖ヨハネ会への入会を決意し、2年後には甲の原の住人となりました。子どもたちの歓迎ぶりは初対面の時とまったく同じ熱烈なものでした。

 その後、甲の原学院では次第に外部への就職のため退所のケースも多くなった半面、新たに措置されるケースは重度の割合が非常に高くなってきました。都庁からは職員住宅の費用も負担するという好条件で重度棟を建てることを勧められ、1967年、甲の原学院に重度精神薄弱児収容棟定員20名の福心寮を併設しました。当時、重度棟を併せ持つ施設は都内2カ所のみで関係者から多大の期待を寄せられました。これで施設としての定員は170名となりました。

 子どもたちは能力に応じて実習組、学習組、保育組、養護組の4つのグループに分かれて一人ひとりに合った教育養護指導を受けました。

 健康管理は寮担当の保育士、看護師が絶えず児童の健康状態に注意し身体測定、健康診断、予防接種などを行い、随時診療所の医師の診療を受けられるようにし健康衛生には万全を期すようにしました。

 行事は運動会、学芸会、春秋の遠足、映画会、誕生会などを行い、子供たちの社会性や情操の向上を図りました。

1969年に社会福祉法人本部が桜町病院内に設置され、1970年には常陸宮妃の甲の原学院御視察がありました。

 1971年、甲の原学院は創立15周年を迎えて入所児童の重度化、高年齢化が進み施設の体質改善を迫られるようになり、建物の老朽化と閑静だった施設の周辺が開発されて急に賑やかな環境に変わってしまったこと、学院がもともと斜面に建っていて危険が多かったことなどの理由から、新しい土地を求めて新築移転する計画が立てられました。移転候補地の山梨県富士山麓への移転は工事が予想外に難航して完了したのは4年後の1975年でした。こうして甲の原学院は富士聖ヨハネ学園という名称に変わり、児童部90名、成人部100名の定員で新しく生まれ変わって再出発することとなったのです。

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会の目的と精神

わたしはぶどうの木、
あなたがたはその枝である。
ヨハネ15:5

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事業

わたしはまことのぶどうの木、
わたしの父は農夫である。
ヨハネ 15:1

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修道院

わたしがあなたがたを愛したように、 あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネ13章34節

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Blog

わたしに仕える者がいれば、 父はその人を大切にしてくださる。
ヨハネ12章26節

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わたしたちは病気の人、悩み苦しむ人、
弱い立場の人々への奉仕に献身しながら、
神が慈しみ深いことを現します。