聖ヨハネ会75周年PART1

もともと、事業体が先に誕生したという珍しい会でもあります。医師でもあり司祭もあった戸塚文卿師によって、桜町病院がたてられ、その運営のために土井枢機卿様より事業を託され、誕生した修道会です。戸塚師は欧州より帰国すると、その当時国民病といわれていた結核患者のために、特に貧しく見捨てられた患者のために、聖ヨハネ汎愛院という病院を経て、体も魂も救うために尽力を尽くされました。今の時代では当たり前の「全人的ケア」を昭和の初めよりなさっていたのです。聖ヨハネ汎愛院も手狭になり、武蔵野地に、病院を設立することを想い、桜町病院が誕生するのです。しかし、戸塚師は桜町病院の開院を待たず帰天されました。残された病院を軌道に乗せ、東京司教区にお返ししようとした、私たちの創立者は、当時の東京大司教土井枢機卿様より、「あなた方でなさったら」と桜町病院を任されました。祈って考える時間をいただき、すぐにお返事をせずに、帰ってきました。創立者たちは土井枢機卿様のお言葉の中に神様の御心見出し、修道会を創立することになりました。何もできない小さなものだからこそきっと、神様を大きな光と祝福と恵みを下さるという、全き信頼のもとに修道会を創立しました。

 私たちは創立者もことを尊敬と親しみをもって「マザー」とお呼びします。彼女は、多くの協力者や恩人の助けもあり、桜町病院を当時の結核病院としては近代的な医療をする病院にし、目の前にいる患者さんのために新しいことにもチャレンジしていきます。子供ために小児結核病棟を作り、また、戦災孤児の為には愛聖園という、児童福祉施設を開設します。当時のシスター方は、戦後の苦しい時代に寝る間もないほど忙しくしてはいましたが、ご聖体の前で祈ることは欠かしませんでした。祈りが、彼女たちの仕事の糧となったのです。どんな小さなことに神様のみ旨を見つけ、目の前に与えられた方々を丁寧に大切にするという、創立者の心は今もなお、私たちの中に生きています。

 桜町病院は時代の移り変わりにより、結核は抗菌薬により、恐ろしい病気ではなくなり、成人病を中心とした、総合病院になります。その当時、まだ高齢化は叫ばれていませんでしたが、老人の介護をする特別養護老人ホームの建設を考え準備をしていきます。また、終末期医療のためにホスピスの建設の準備もしていきます。戸塚師がおこなっていた全人的ケアの考えが、世の中にも広まり、関心がもたれはじめた頃です。

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会の目的と精神

わたしはぶどうの木、
あなたがたはその枝である。
ヨハネ15:5

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事業

わたしはまことのぶどうの木、
わたしの父は農夫である。
ヨハネ 15:1

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修道院

わたしがあなたがたを愛したように、 あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネ13章34節

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Blog

わたしに仕える者がいれば、 父はその人を大切にしてくださる。
ヨハネ12章26節

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わたしたちは病気の人、悩み苦しむ人、
弱い立場の人々への奉仕に献身しながら、
神が慈しみ深いことを現します。