富士聖ヨハネ学園の歩み PART 3


 児童部には就学問題があり、一部障害の軽い児童は、忍野村の小中学校の特殊学級へ通学していましたが、国は養護学校を義務化し、1979年(昭和54年)より、知的障害児にも就学の機会を与えるよう通知しています。そこで学園でも、県立やまびこ養護学校への一部児童の通学と、訪問教育が始まりました。

 児童部の子供たちはだんだん過齢化し、他施設に移したくない保護者の要望も大きく、時代への適応を考えて、児童寮の一部、(すぎのこ・さつき寮)を成人寮に転換し、1980年(昭和55年)児童部の定員を40名に減らし、成人部の定員を150名に変更しました。

 国連では、1975年(昭和50年)に「障害者の権利宣言」が採択され、障害者の基本的人権が尊重されるべきことを訴えていますが、さらに1981年(昭和56年)を「国際障害者年」とすることが決議され、「完全参加と平等」を掲げ、障害者の社会への身体的及び精神的適合を援助すること、適当な雇用の機会を創出すること、公共建築物や交通機関を利用しやすくすること、一般の人々の理解を促進することなどが目的として挙げられました。「国際障害者年は障害者のためだけにあるのではない。障害者を閉め出す社会は弱くもろい社会であり、社会を障害者・老人などにとって利用しやすくすることは、社会全体にとっても利益となるものである。(健全者中心の社会は正常ではない)とさえ、明言しています。この年、学園は創立25周年を迎え、「映画と講演の集い」を開催しました。

 利用者の生活は朝6:30の起床に始まり、着衣・洗面、簡単な掃除をして、8:00から朝食、9:45から日中活動が始まります。児童部は体力維持のために散歩に行ったり、プールに入ったり、また畑作業や花の栽培。環境美化活動、楽器遊び、音楽鑑賞、社会見学なども行っていました。成人部では、陶芸、石鹸つくり、キャンプ用の薪作り、マットなどの制作、腐葉土の加工、ダンボール・古紙・空き缶などの回収、運搬、出荷など、また園内で作ったものの受注作業や、タオルの包装、菓子箱折り、車の部品組み立て、パソコン・携帯電話の分解作業など他方面にわたる作業があります。1981年(昭和56年)教皇ヨハネ・パウロ2世訪日の時、後楽園での野外ミサで学園の陶芸作品が参列者にご聖体を配るための容器として使われることになり、沢山の注文を頂いて、職員も利用者さんも作業時間を延長して、感謝の心で作らせていただきました。昼食をはさんで、14:00から16:00まで日中活動を行い、その後入浴を済ませて、17:30から夕食です。夜は20:00から22:00まで自由時間、22:00に就寝となっています。ほっと一息つける余暇活動として、デイルームでの団らん、ブランコ、ジグソーパズル、麻雀、ごろ寝なども自由に行っています。利用者さんの高齢化・重度化に伴い、かつて隆盛を極めた作業活動も、一部を除いて廃止せざるを得なくなり、健康管理重視の援助活動に変わってきています。

 1年を通じていろいろな行事がありますが、年間行事の主なものは次の通りです。1月には新年会、2月には節分豆まき、3月には春の家庭帰宅、4月には花見会と保護者会総会、5月には運動会、6月には各寮で企画した旅行、初めての海外旅行でグアム島へ行ったグループもありました。7月には創立記念パーティーと夏祭り、8月には夏の家庭帰宅と納涼会、9月にはヨハネ祭、10月には秋の家庭帰宅、11月にはほうとう会、12月にはクリスマス会と冬の家庭帰宅となっています。

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会の目的と精神

わたしはぶどうの木、
あなたがたはその枝である。
ヨハネ15:5

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事業

わたしはまことのぶどうの木、
わたしの父は農夫である。
ヨハネ 15:1

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修道院

わたしがあなたがたを愛したように、 あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネ13章34節

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Blog

わたしに仕える者がいれば、 父はその人を大切にしてくださる。
ヨハネ12章26節

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わたしたちは病気の人、悩み苦しむ人、
弱い立場の人々への奉仕に献身しながら、
神が慈しみ深いことを現します。