例えば、聖別された奉献生活は神から教会に与えられた賜物(会憲15番)とありますが、パウロの手紙、第Ⅱコリント書2,15より
「わたしたちは、キリストによって神に捧げられる良い香りです。」
と、教会との関係を分かりやすく表されます。
「本会は神の国の到来のしるしとして、特に病める人、悩み苦しむ人、弱い立場の人々に一生を捧げるよう召された修道女の共同体です。」と、書かれてあります。わたしたちが、ヨハネ15章のぶどうの木のたとえのように、キリストの愛に深く結ばれてこの使命に生きる時、神に捧げられる良い香りとなるのでしょう。
また、三誓願の貞潔の誓願のところでは、貞潔の誓願は愛である聖霊の賜物です。聖霊は、プネウマ、風、息、と言われ、目に見えないけれどそれなしには生きてはいけない、最も大切な賜物です。パウロの手紙第Ⅱコリント4,7より、
「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものではないことが明らかになるために。」と。
マザー岡村は、「神様は度々小さなつまらないものを通して偉大な業をなさいます。」と言われました。聖ヨハネ会は、戦争中の最も大変な時に創立されて以来、その時代その時代に必要とされることに、一つずつ応えて来たと思います。神父様は言われました、なぜこんな大変な時に?と。大変な時だからこそ、神様が、使命をお与えになると。
使徒ヨハネは最後まで十字架のイエスのおそばにいて、神様の愛を最も身近に見ていたのではないでしょうか。そして、使徒ヨハネは「愛」を説きます。愛する者は皆、神から生まれ、神を知っています・・・神は愛だからです(ヨハネの第Ⅰの手紙4,7-8)と。パウロも第1コリント13章で愛をうたいます。たとえ人と天使の言葉を話しても・・・愛がなければ空しい・・・信仰、希望、愛、この三つ。このうち最も優れているのは愛、と。
今、世界中がコロナ下にあって先の見えない毎日を過ごしています。しかし、だからこそ、私達は日々の祈り、共同生活、与えられた奉仕を、ひたすら前向きに進んでいくことが求められていることをこの黙想会を通して実感させていただきました。
8日間私達と共に歩み、喜びも、つらいことも分かち合ってくださり、又、楽しいお話もたくさんしてくださった山内神父様に心から感謝いたします。
また、黙想の家を、心を込めて準備してくださった聖霊会のシスターの皆様本当にありがとうございました。
わたしたちは、小さく貧しいけれども、明るい希望の光をいただいて帰路につきました。
福音史家聖ヨハネ布教修道会